環境破壊の四方山話

第2話 古代文明の環境破壊
エーゲ海は世界のリゾート地として多くの観光客が訪れる所です。また、エーゲ海はギリシャのポリスに先立つ古代文明(エーゲ文明)の地としても有名です。イギリス人のエヴァンズによって、紀元前3000年〜1400年のクレタ文明の存在が明らかされ、ドイツ人のシュリーマンにより紀元前1600年〜1200年のミケーネ文明の存在が発見されました。トロイの木馬で有名なミケーネに滅ぼされたトロヤ文明(紀元前2600年〜1200年)を含めて、エーゲ海を中心に栄えた文明をエーゲ文明と呼んでいます。
クレタ文明は、イオニアの詩人ホメロス(紀元前900年)の英雄伝説叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」の世界のものと思われていましたが、エヴァンスによって現実のものとなりました。クレタ文明は、クノックス宮殿が有名ですが、ホメロスの伝説に登場するクレタの王ミノスにちなんでミノア文明とも言われています。ホメロスの叙事詩のイリアスやオデッセイアはエーゲ文明の華の時期の英雄の活躍を描いていますが、その中では、エーゲ海の諸島は、榛の木、ポプラ、糸杉などが青々と茂った斧の入れたことの無い深い森があったと記述しています。
ミノア文明は「カマレス式」と呼ばれる黒や茶色地に赤や白で直線や波あるいは渦巻き文様で彩色された土器が特徴です。また、大蛸が壷全体を覆うように描かれたデザインもあります。 先進文明国のエジプトは、ピラミッドに代表されるように石を活用した文明ですが、陶器は少なく、クレタ島から大量に青銅器やエジプトにない銀製品がなどを輸入するようになりました。陶器や金属製品は、大量に燃料を必要とします。ミノア文明の繁栄とともに、人口が増加し食料確保のために開墾され、森林の木材は伐採の拍車がかかり、ホメロスの時代では、クレタ島には森は消えてやせ地になっていました。
紀元前1450年頃にクレタ島の沖合い30Kmの火山島テラ島が大爆発をしました。この噴火でテラ島は沈没し、大津波、火山弾、火山灰がクレタ島を襲い、4階建のクノックス宮殿も崩壊しました。また、農業も壊滅的な影響をうけました。テラ島火山爆発の影響もありますが、森林の消滅により国力の衰えたことに加えて、周辺国とも友好的で長い間戦争もなく、クノックス宮殿にも城壁がなかったことによるのでしょうか、ミケーネ人によりゼウス誕生の島クレタは侵略され滅びました。
この沈没したテラ島が、プラトンのいう都市国家アトランティスではないかする説もありますが、エーゲ文明は繁栄をしていました。しかし、ミノア文明は、森林の破壊とともに滅び去りました。

次の文明となったミケーネ文明時代の王墓からは陶器、武器、青銅器や王の黄金の仮面が大量に出土しており、富裕階級の存在が認められ、階級分化が生じていました。ミケーネ人は、海上交易によりミノア文明の影響を受けていましたが、埋葬品の中には青銅刀剣類などの武器が多くあり、また壁画の戦闘図などから好戦的な文明であったことがうかがえます。ミケーネでも、土器や青銅器を大量に作り、遠くエジプトまで輸出していましたが、木を採り尽くして、大地が荒れ果ててついに滅びました。その文明が必要とする資源、エーゲ文明では木材燃料を使い切ったときに、その文明は滅び去ることを教えています。
森林破壊は古代文明時代に終っていません。その後も続いています。カエサルが著したガリア戦記の第6巻(紀元前53年)では、ゲルマニア(古代ドイツ)では、森が何処から始まるか誰も知らず、60日歩いても端にたどり着かない深い森があったことが、記述されています。深い森の住人ゲルマン人は、樹木に対する信仰が根強く伝わっていきました。しかし、中世になり、キリスト教の宣教師は自然の樹木を神聖視することは、神以外のもの(偶像)を神聖視するもので、許しがたいこととして布教にあたりました。
樹木崇拝の禁止により樹木伐採のタブーが解かれました。また、魔女狩りなどでアミニズムが否定されて、森林には聖霊は宿ってなく、聖霊や森林を守るために蛇などが住んでいるのではないと思うようになり、開墾が一気に進むことになり、森林が破壊されていきました。そして、ヨーロッパからは深い森は消えました。南西ドイツに広がる有名な黒い森は、ライン川に沿って南北に長さ160キロ、東西に60キロにもおよぶ広大な森ですが、これは150年前に人工的に植林されたものです。

リゾート地と言いますと、地中海の岩肌とオリーブの美しさが強調され、日本では白砂青松が美しさの象徴となっています。生物学的には、地中海あるいは日本の海岸線近くは、土壌が荒れ果てて痩せ地になり、痩せ地に強いオリーブや松しか育たなくなってきているのです。
日本書紀の巻第1神代の上で、素戔鳴尊(すさのうのみこと)は、「わが子の治める国に舟がなくてはならない」と言われ、髭から杉、胸毛から檜、尻毛から槙、眉毛から樟を創られたが、松は登場していません。3世紀の邪馬台国にも松はなかったと言われています。陶器が大量に作られるようになった飛鳥時代頃(6〜7世紀頃)になると、松が急激に増えてきました。
森の木を伐採すると大地に太陽があたり表土は乾燥します。また、落ち葉も無くなりますので、雨により表面の土が流れやすくなります。地中海地方は石灰岩のうえに表土が乗っているような土地です。僅かの表土が流れ去ると痩せた大地しか残りません。
年代とともに文明は発達しましたが、豊かな大地に育つ木が減り、痩せ地に強い木しか残らなくなりました。森林破壊、砂漠化は神代の昔から、洋の東西を問わず人類の文明の発展とともに、規模を拡大していきました。
参考文献
海の文明ギリシャ 手嶋兼輔 講談社
ベーシック/地球環境問題入門 日本経済新聞社
森と人間の文化史 只木 良也 日本放送協会
詳説世界史研究 木下康彦他 山川出版社
ガリア戦記 近山金次訳 岩波書店
魔女とキリスト教 上山安敏 講談社
森を守る文明支配する文明 安田喜憲 PHP研究所
日本書紀 宇治谷孟 講談社
オデュッセイア(上・下) 松平千秋訳 岩波書店
イリアス(上・下) 松平千秋訳 岩波書店
ギリシャ神話 高津春繁訳 岩波書店
環境委員会の目次へ戻る